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ガーニ - トーゴの村で子宮頸がんとの闘いに挑む助産師

IPPF 日本信託基金

IPPF 日本信託基金

ガーニ

トーゴの村で子宮頸がんとの闘いに挑む助産師

助産師として16年以上のキャリアを持つガーニは、数年前、母親を子宮頸がんで亡くしました。また、ガーニ自身も子宮頸がんで命を落としていたかもしれませんが、IPPFトーゴ(ATBEF) がとりいれた早期発見と治療を受けたおかげで、今では子宮頸がんとの闘いの闘士となり、子宮頸がん予防に取り組んでいます。

IPPF 日本信託基金(JTF)プロジェクトを通し、ATBEFは、トーゴで初めて視診による子宮頸がん検診と前がん病変の治療を導入しました。2017年、女性は子宮頸がんのスクリーニングと、必要があればその場で治療を受けることができるようになりました。一回の受診で検診と治療を行うアプローチの成功は、治療が必要であるにもかかわらず、様々な事情から治療のための再受診が叶わない女性を取り残さないという点にあります。

ガーニは、子宮頸部に前がん病変があると診断されたときを振り返ります。前がん病変とは、がんを発生しやすい形態に変化した組織のことです。「検診結果をきいて、私は母の苦難を思い出し、パニックに陥りました。」と言います。しかし、治療を受けた彼女は今、子宮頸がんとの闘いの先導を切っています。助産師として彼女は、女性の子宮頸がんに対する意識を高め、検診を受けるよう促しています。

ガーニの母親は、JTFプロジェクトが始まる2年前に子宮頸がんを発症しました。治療のため、ゲラン・クーカ村から病院までの85キロの道のりを幾往復もしたものの、既に手遅れでした。長女であり、医療従事者でもあるガーニは、治療に同行しましたが、彼女は、この幾度にもわたる通院の苦痛を忘れられません。「私の母の苦しみは想像を絶するものです。耐え難い苦しみです。最後に病院を訪れた時、母は私に『娘よ、もう私はお終いだわ』と言いました。できることはすべてやったのに、末期がんであった母はその2週間後に亡くなりました」と、彼女は目に涙を浮かべて言います。

母の死後40日目の儀式のために親戚がゲラン・クーカ村に集まっていた時、ATBEFの移動診療所が子宮頸がん検診キャンペーンのために訪れました。「妹たち、叔母や他の女性の親戚は皆この儀式のために村に来ていたので、この機会に全員検診を受けました。幸い私以外は皆、前がん病変は見つかりませんでした。」

ガーニが働くゲラン・クーカ地域保健センターの所長、エクラ・アグバ医師は、「彼女は検診後その場で治療をうけ、その3ヶ月後と1年後にロメのATBEFの診療所でフォローアップの診察を受けました。このフォローアップ検診のお陰で、私達全員、安心していられます。」

治療を受けて他の女性の擁護者となったガーニ

ガーニは、早期発見のための検診の必要性について、周りの人々の意識啓発に努め続けています。「このがんについて知らない女性がまだいるので、私は自分と母の経験を診療所に来る女性に話しています」と彼女は言います。

ATBEFでプロジェクトを指揮したビンゴ医師は、ガーニはインスピレーション、原動力だと言います。「彼女はなぜ移動診療所による無料キャンペーンが必要なのかを思い出させてくれます。だから、より多くの女性が検診と治療を受けられるようになるのです。」

ガーニは、自分がほとんど母親と同じ運命をたどることになり得たことをよく知っています。「もしあの時、あの移動診療所が来なかったら、私は母の命を奪った同じ病気が既に自分にも発症し始めていたことを知らなかったでしょう。もしかしたら、今頃はもう、がんの兆候が出ていたかもしれません。私は、この命を救うプロジェクトに関わり活動している人々に感謝しています。」

ゲラン・クーカ地域保健センターの産科病棟長サンタ・ミサホエによると、ガーニの経験は皆に子宮頸がんを強く意識させました。

「彼女はこの産科病棟の私たちにとって、姉のような存在です。彼女はいつでも妊婦の命を救う術を心得ていますた。私たちは、彼女が治療を受けられたことを非常に嬉しく思っています。また、彼女の経験から、診療所の女性全員が検診を受けました。」

女性たちが命を守る検診を受けるように、ガーニは語り続けます。

プロフィール

47歳のガーニは、2003年から助産師として、特にゲラン・クーカ地域保健センターには15年間勤務しています。妊婦や新生児への献身により、彼女は上司の称賛と同保健センター利用者の信頼を得ています。

4人の子供の母親であるガーニの温かく親しみやすい態度に加え、彼女は自分の母語の他に4つの方言を話すので、保健センターでは引っ張りだこです。

しかし、これまでのガーニの人生は容易なものではありませんでした。彼女は長子として、弟たちや妹たちのために多くの犠牲を払ってきました。また、 彼女は末期がんを患った母親の介護を「苦しい思い出」と振り返ります。

そして今、彼女は子宮頸がんに対する意識の向上に努め、女性が早期に検診を受けることを奨励しています。

公開日 2021年2月2日

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