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ストーリー

ストーリー
チピリ・ムレムフウェさん。資金が途絶えるまで、IPPFザンビア(PPAZ)が実施するUSAIDオープンドア・プロジェクトのサービスデリバリー・マネージャーを務めていた
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| 08 August 2018

「貴重な時間が失われている」

2017年11月、 IPPFザンビア(PPAZ)は、米国国際開発庁(USAID)の援助を受けているプログラムをすべて中止にせよ、という知らせを受けました。グローバル・ギャグ・ルール(メキシコシティ政策)の影響によるものです。グローバル・ギャグ・ルールの再導入によって、PPAZは活動資金の46%を失いました。グローバル・ギャグ・ルールについてはこちらをご参照ください。   「私が(USAIDの援助を受けたPPAZ「オープンドア・プロジェクト」の)サービスデリバリー・マネージャーの仕事を失った時、自分の一部が死んだように感じました。それほどに情熱を傾けていたのです。いつかすべての人が、スティグマ(汚名)も差別も受けずに、特に公共の保健医療機関で、医療サービスを自由に受けられる日が来ると信じています。それが現実になること。もっとも脆弱でHIV感染のリスクが高い人々(キー・ポピュレーション)が、スティグマも差別も、逮捕される恐れもなく、総合的な 保健医療サービスを受けられる日が来るのを望んでいます」とチピリさんは話します。  グローバル・ギャグ・ルール グローバル・ギャグ・ルールの再導入によってPPAZのUSAIDオープンドア・プロジェクトへの援助が完全に途絶えました。 さらにチピリさんは続けます。「プロジェクトを始めた時には、突然、援助がなくなるとは思ってもいませんでした。援助の停止までに一定期間、例えば1年間の猶予があって、その間に事業を終わらせ、PPAZが背負ってきた責任を引き受けてくれるパートナーにプロジェクトを引き継げると思っていました」   プロジェクトが中止されるということは、それまでの成果、つまりキー・ポピュレーションにおけるHIVと性感染症(STIs)の感染者数を減少できていたこと、が取り消されてしまうという意味です。これは、ザンビアにおいてHIV感染者数を減らすために絶対に必要とされた成果でした。 「貴重な時間が失われている。国としての目標があります。2020年までにUSAIDが設定した90/90ゴール  を達成しなければなりません(訳注:90/90ゴールとは、2020年までにHIVと共に生きる人々の90%が自分の感染状態を知ること、HIV陽性と診断された人の90%が持続的に抗レトロウイルス薬による治療を受けていること、また抗レトロウイルス薬による治療を受ける人々の90%がウイルスの活動を抑制できていること、などを定めた国連合同エイズ計画(UNAIDS)の目標)。ザンビアではHIVの脅威に打ち克つため、さらに大きなビジョンを設定しています。2030年までにHIVを公共の脅威でなくするというものです。しかし、今回のような障害 が重なると、これらの目標が達成できません」  「キー・ポピュレーションは一般の人々ともつながっています。男性と性行為をする男性にはパートナーがいます。結婚していることもあります。彼らのネットワークを辿らなければ、HIVとSTIが一般の人々にも広まり、結果としてすべての人がリスクにさらされるでしょう」 その他の影響としては、キー・ポピュレーションの脆弱性が高まったこと、キー・ポピュレーションに育っていたピア・サポーターへの投資が無駄になったこと、キー・ポピュレーションがPPAZの提供していた安心、安全な受診場所に行けなくなったこと、などがあります。  安心と安全がなくなる時 「安心と安全という面では、キー・ポピュレーションの人はよく知らない医療機関を気軽に受診することができません。PPAZのクリニックは理想的な環境でした。誰も不要な質問をせず、誰もが自由にかかれるクリニックだったからです。現在、プロジェクトでは住宅を借りています。USAIDがサービスを提供する場所として住宅を借りてくれますが、住宅はクリニックとは違いますし、サービスの持続性という意味では影響があります」 「PPAZは1972年からサービス提供をしていますが、その持続性にも影響があります。プロジェクトによってPPAZがキー・ポピュレーションに汚名と差別を受けさせずにサービスを提供し続けられるようになればいいと思っていました。しかしこれは不可能になりました。私にとっては機会の損失です」 ザンビアのAIDS/HIV国家戦略枠組2017-2021では、HIV/AIDSの蔓延を止める目的のため「誰も取り残さない」という点に非常に重きを置いています。 「誰一人取り残してはならない。HIV新規感染者をゼロまで削減するのでなければ、我々の夢、ビジョンは実現しない。誰が悪いのか指を差し合う暇はない。公衆衛生のアプローチを使い、ザンビアの人々のHIV感染リスクをなくさなければなりません」

チピリ・ムレムフウェさん。資金が途絶えるまで、IPPFザンビア(PPAZ)が実施するUSAIDオープンドア・プロジェクトのサービスデリバリー・マネージャーを務めていた
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| 30 April 2025

「貴重な時間が失われている」

2017年11月、 IPPFザンビア(PPAZ)は、米国国際開発庁(USAID)の援助を受けているプログラムをすべて中止にせよ、という知らせを受けました。グローバル・ギャグ・ルール(メキシコシティ政策)の影響によるものです。グローバル・ギャグ・ルールの再導入によって、PPAZは活動資金の46%を失いました。グローバル・ギャグ・ルールについてはこちらをご参照ください。   「私が(USAIDの援助を受けたPPAZ「オープンドア・プロジェクト」の)サービスデリバリー・マネージャーの仕事を失った時、自分の一部が死んだように感じました。それほどに情熱を傾けていたのです。いつかすべての人が、スティグマ(汚名)も差別も受けずに、特に公共の保健医療機関で、医療サービスを自由に受けられる日が来ると信じています。それが現実になること。もっとも脆弱でHIV感染のリスクが高い人々(キー・ポピュレーション)が、スティグマも差別も、逮捕される恐れもなく、総合的な 保健医療サービスを受けられる日が来るのを望んでいます」とチピリさんは話します。  グローバル・ギャグ・ルール グローバル・ギャグ・ルールの再導入によってPPAZのUSAIDオープンドア・プロジェクトへの援助が完全に途絶えました。 さらにチピリさんは続けます。「プロジェクトを始めた時には、突然、援助がなくなるとは思ってもいませんでした。援助の停止までに一定期間、例えば1年間の猶予があって、その間に事業を終わらせ、PPAZが背負ってきた責任を引き受けてくれるパートナーにプロジェクトを引き継げると思っていました」   プロジェクトが中止されるということは、それまでの成果、つまりキー・ポピュレーションにおけるHIVと性感染症(STIs)の感染者数を減少できていたこと、が取り消されてしまうという意味です。これは、ザンビアにおいてHIV感染者数を減らすために絶対に必要とされた成果でした。 「貴重な時間が失われている。国としての目標があります。2020年までにUSAIDが設定した90/90ゴール  を達成しなければなりません(訳注:90/90ゴールとは、2020年までにHIVと共に生きる人々の90%が自分の感染状態を知ること、HIV陽性と診断された人の90%が持続的に抗レトロウイルス薬による治療を受けていること、また抗レトロウイルス薬による治療を受ける人々の90%がウイルスの活動を抑制できていること、などを定めた国連合同エイズ計画(UNAIDS)の目標)。ザンビアではHIVの脅威に打ち克つため、さらに大きなビジョンを設定しています。2030年までにHIVを公共の脅威でなくするというものです。しかし、今回のような障害 が重なると、これらの目標が達成できません」  「キー・ポピュレーションは一般の人々ともつながっています。男性と性行為をする男性にはパートナーがいます。結婚していることもあります。彼らのネットワークを辿らなければ、HIVとSTIが一般の人々にも広まり、結果としてすべての人がリスクにさらされるでしょう」 その他の影響としては、キー・ポピュレーションの脆弱性が高まったこと、キー・ポピュレーションに育っていたピア・サポーターへの投資が無駄になったこと、キー・ポピュレーションがPPAZの提供していた安心、安全な受診場所に行けなくなったこと、などがあります。  安心と安全がなくなる時 「安心と安全という面では、キー・ポピュレーションの人はよく知らない医療機関を気軽に受診することができません。PPAZのクリニックは理想的な環境でした。誰も不要な質問をせず、誰もが自由にかかれるクリニックだったからです。現在、プロジェクトでは住宅を借りています。USAIDがサービスを提供する場所として住宅を借りてくれますが、住宅はクリニックとは違いますし、サービスの持続性という意味では影響があります」 「PPAZは1972年からサービス提供をしていますが、その持続性にも影響があります。プロジェクトによってPPAZがキー・ポピュレーションに汚名と差別を受けさせずにサービスを提供し続けられるようになればいいと思っていました。しかしこれは不可能になりました。私にとっては機会の損失です」 ザンビアのAIDS/HIV国家戦略枠組2017-2021では、HIV/AIDSの蔓延を止める目的のため「誰も取り残さない」という点に非常に重きを置いています。 「誰一人取り残してはならない。HIV新規感染者をゼロまで削減するのでなければ、我々の夢、ビジョンは実現しない。誰が悪いのか指を差し合う暇はない。公衆衛生のアプローチを使い、ザンビアの人々のHIV感染リスクをなくさなければなりません」

ミラン・カダカさん
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| 29 November 2017

音楽を使ってHIVに対する汚名と闘うネパールの大学生

ミラン・カダカさんが10歳の時、両親をHIVによって亡くしました。「両親が亡くなった時、深い孤独を感じました。僕のことを思ってくれる人はもう世界中に誰もいないのではないかと思いました」とミランさんは言います。「誰かの愛を受けている子どもたちを見ると、両親が生きていれば、自分もあのように愛されただろうに、と思いました」 ミランさんのように、インドへ出稼ぎに行った親を祖国ネパールで待つ子どもは、何千人もいると言われます。ミランさんは10歳までインドで育ちましたが、母親をエイズ関連の疾患で亡くしました。母親の死後、家族でネパールに帰国しましたが、8カ月後に今度は父親が亡くなり、一人、祖母の下に残されたのです。 「両親の死後、自発的にHIV検査を受けに行き 、体内にウイルスがあるかどうかを確かめました」とミランさん。「HIV陽性という診断を受けてから、少しずつそのことが地域の人たちに知られるようになり、やがてひどい差別を受けました。学校では友人が一緒に座ってくれず、中傷やいじめもありました」さらに、「家では寝室を分けられ、寝具も、食器も、髪をとかす櫛も別のものを用意されました。一人きりで眠らなければなりませんでした」 ミランさんが、地域に住むラクシュミ・クンワルさんに出会ってから、事態が好転し始めました。ラクシュミさんは、自身もHIV陽性の診断を受け、地元パルパでHIVと共に生きる人々を支える活動に専心することを決意した女性です。IPPFネパール(FPAN)の在宅コミュニティ・ケア・モビライザーをしています。 孤児になった 幼い少年がつらい思いをしていることを知り、ラクシュミさんはミランさんの家族や先生たちと話し合いました。これを受けて、大人たちはクラスメートにも話をしました。「ラクシュミさんが話しに行ってから、先生たちは助けてくれるようになりました」とミランさん。「HIVについての(正しい)知識がわかると、学校の友達も仲良くしてくれ、ものを一緒に使ってくれるようになりました。学友たちはこう言ってくれました。『ミランにはもう誰もいないから、僕たちが一緒にいなくちゃ。ミランに起きたことが僕たちに起きない保証はないだろう?』と」 ラクシュミさんはミランさんが小中学校から大学に進学するまで見守り、勉学に励むよう、応援してきました。「ラクシュミさんはもはや母親以上の存在です」と言います。「実の母は僕を産んでくれましたけど、大きくなるまで面倒を見てくれたのはラクシュミさんです。実の母が生きていたとしても、ラクシュミさんのようにできたとは思えません」 ミランさんは学業では常にオールAの評価を受け、クラス上位にいました。そして優秀な生徒として、無事に学校を卒業できたのです。 現在、21歳のミランさんは忙しく、充実した毎日を送っています。大学の学生生活、FPANの在宅コミュニティ・ケア・モビライザーの活動、そして始めたばかりの音楽活動があるからです。教育学の学部生としてタンセン大学に通っているとき以外は、ケア・モビライザーとして地域の村を訪ね、住民にHIVの予防と治療について説明したり、避妊具を配布したりしています。HIVと共に生きる子どもたちを支える活動もしています。同じ境遇の子どもたちに、自分が両親を亡くし、差別を受けた経験から、幸せで成功した今の人生にたどり着くまでの道のりを聞かせています。 「この地域でHIVと共に生きる子どもたちは40名います」とミランさん。「僕は彼らに会って話をし、彼らの状況を知り、必要な支援があればつなぎます。彼らにはこう話しています。『あの時、もし僕があきらめていたら、今の僕にはなっていない。だから君たちもあきらめるな。君の人生を歩んでいくのだよ』と」 ミランさんのストーリーを動画にまとめました。ぜひご覧ください(英語)。      

ミラン・カダカさん
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| 30 April 2025

音楽を使ってHIVに対する汚名と闘うネパールの大学生

ミラン・カダカさんが10歳の時、両親をHIVによって亡くしました。「両親が亡くなった時、深い孤独を感じました。僕のことを思ってくれる人はもう世界中に誰もいないのではないかと思いました」とミランさんは言います。「誰かの愛を受けている子どもたちを見ると、両親が生きていれば、自分もあのように愛されただろうに、と思いました」 ミランさんのように、インドへ出稼ぎに行った親を祖国ネパールで待つ子どもは、何千人もいると言われます。ミランさんは10歳までインドで育ちましたが、母親をエイズ関連の疾患で亡くしました。母親の死後、家族でネパールに帰国しましたが、8カ月後に今度は父親が亡くなり、一人、祖母の下に残されたのです。 「両親の死後、自発的にHIV検査を受けに行き 、体内にウイルスがあるかどうかを確かめました」とミランさん。「HIV陽性という診断を受けてから、少しずつそのことが地域の人たちに知られるようになり、やがてひどい差別を受けました。学校では友人が一緒に座ってくれず、中傷やいじめもありました」さらに、「家では寝室を分けられ、寝具も、食器も、髪をとかす櫛も別のものを用意されました。一人きりで眠らなければなりませんでした」 ミランさんが、地域に住むラクシュミ・クンワルさんに出会ってから、事態が好転し始めました。ラクシュミさんは、自身もHIV陽性の診断を受け、地元パルパでHIVと共に生きる人々を支える活動に専心することを決意した女性です。IPPFネパール(FPAN)の在宅コミュニティ・ケア・モビライザーをしています。 孤児になった 幼い少年がつらい思いをしていることを知り、ラクシュミさんはミランさんの家族や先生たちと話し合いました。これを受けて、大人たちはクラスメートにも話をしました。「ラクシュミさんが話しに行ってから、先生たちは助けてくれるようになりました」とミランさん。「HIVについての(正しい)知識がわかると、学校の友達も仲良くしてくれ、ものを一緒に使ってくれるようになりました。学友たちはこう言ってくれました。『ミランにはもう誰もいないから、僕たちが一緒にいなくちゃ。ミランに起きたことが僕たちに起きない保証はないだろう?』と」 ラクシュミさんはミランさんが小中学校から大学に進学するまで見守り、勉学に励むよう、応援してきました。「ラクシュミさんはもはや母親以上の存在です」と言います。「実の母は僕を産んでくれましたけど、大きくなるまで面倒を見てくれたのはラクシュミさんです。実の母が生きていたとしても、ラクシュミさんのようにできたとは思えません」 ミランさんは学業では常にオールAの評価を受け、クラス上位にいました。そして優秀な生徒として、無事に学校を卒業できたのです。 現在、21歳のミランさんは忙しく、充実した毎日を送っています。大学の学生生活、FPANの在宅コミュニティ・ケア・モビライザーの活動、そして始めたばかりの音楽活動があるからです。教育学の学部生としてタンセン大学に通っているとき以外は、ケア・モビライザーとして地域の村を訪ね、住民にHIVの予防と治療について説明したり、避妊具を配布したりしています。HIVと共に生きる子どもたちを支える活動もしています。同じ境遇の子どもたちに、自分が両親を亡くし、差別を受けた経験から、幸せで成功した今の人生にたどり着くまでの道のりを聞かせています。 「この地域でHIVと共に生きる子どもたちは40名います」とミランさん。「僕は彼らに会って話をし、彼らの状況を知り、必要な支援があればつなぎます。彼らにはこう話しています。『あの時、もし僕があきらめていたら、今の僕にはなっていない。だから君たちもあきらめるな。君の人生を歩んでいくのだよ』と」 ミランさんのストーリーを動画にまとめました。ぜひご覧ください(英語)。      

IPPFタイでボランティア活動をするジヘ・ホンさん
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| 24 October 2017

「クリニックまで来られないセックスワーカーを訪ねます」タイのHIVと性感染症予防活動

一般的に、セックスワーカーはHIV(エイズウイルス)と性感染症(STI)感染リスクが高い環境で仕事をします。セックスワークが違法なタイでも、ほかの多くの国と同様、セックスワークが黙認されています。 ジヘ・ホンさんはIPPFタイ(PPAT)のボランティアです。ジヘさんは「HIVと性感染症予防チーム」の一員として、首都バンコクとその周辺で活動しています。ボランティア活動を始めて1カ月で、ジヘさんは感染リスクが高い風俗産業で働く女性たちを17回、訪問しました。 「(風俗で働く女性たちは)ターゲットグループの一つと言っていいと思います」とジヘさん。「女性たちの中には、タイ語も話せず、タイ政府が認める身分証を持っていない人もいます。若い女性ばかりです」 HIVと性感染症予防チームは、バンコクにあるPPATのセクシュアル/リプロダクティブ・ヘルス部門に属しています。このチームは、中高生やMSM (男性と性行為をする男性)のグループ、風俗業の経営者など、市内の様々な組織と協力関係を築き、アウトリーチ活動を通じて直接、働く人たちの話を聞きに行きます。 「セックスワーカーの人たちはクリニックで検査を受ける時間がないかもしれません。だから私たちが仕事場まで訪ねます」とジヘさんは言います。「通常、1時間ほどの教育的な話合いの場を持ち、復習を兼ねた活動をします。みんなで楽しみながら学ぶ時間です」 ジヘさんのいるチームは、イラストや画像で説明がある、大型の展示教材を持っていきます。そこには様々なSTIの症状や兆候が細かく図解され、HIV/AIDSとSTIの症状の克明な写真もあります。STIに感染するとどうなるのか、誰にでもわかりやすく説明されています。 「梅毒」「淋病」「性器ヘルペス」「腟カンジダ症」などの説明書きや写真を見た参加者からは、大きな反応があります。「みんなショックを受けますが、若い人は特にそうです。参加者はたくさん質問しますし、心配していることを話してくれます」とジヘさんは振り返ります。 PPATの冊子や小冊子の内容は、ショックを与えるようなものだけではありません。セクシュアリティと性的指向などの概念についても解説し、PPATが行うセミナーで話される性の多様性と平等についての理解を深める助けになります。 セミナーの後でHIVと梅毒の即日検査が希望者に実施されます。タイ国籍があれば、政府の補助によって年に2回まではHIV検査は無料です。有料でも、HIV検査は1回140バーツか4米ドル(500円弱)、梅毒検査は50バーツ(約170円)で受けられます。 「HIVの即日検査は30分ほどで結果が出て、99%正確です」とジヘさん。「即日検査と同時に看護師が採血します。このサンプルをラボに送ってより精度の高い検査をします。これは2~3日かかります」 検査の際、コンドームの正しい装着法をペニスの模型を使ったデモンストレーションで教えます。帰り道、受講者はPPATからのお土産の入った袋をもらいます。中にはコンドーム、PPATクリニックの電話番号が書かれた名刺、コンドームを入れるポーチが入っています。 ジヘさんは韓国の出身ですが、米国南部ルイジアナ州ニューオーリンズにあるテュレーン大学の大学院で公衆衛生学を学んでいます。進学後、PPATでボランティア活動を始めました。 「(活動を通して)世界中の人々は平等であることを実感しました。年齢、性別、性的指向、国籍、宗教や職業に関わらず、必要とする人は誰でも保健医療サービスを受けられるようにすることが重要です」  

IPPFタイでボランティア活動をするジヘ・ホンさん
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| 30 April 2025

「クリニックまで来られないセックスワーカーを訪ねます」タイのHIVと性感染症予防活動

一般的に、セックスワーカーはHIV(エイズウイルス)と性感染症(STI)感染リスクが高い環境で仕事をします。セックスワークが違法なタイでも、ほかの多くの国と同様、セックスワークが黙認されています。 ジヘ・ホンさんはIPPFタイ(PPAT)のボランティアです。ジヘさんは「HIVと性感染症予防チーム」の一員として、首都バンコクとその周辺で活動しています。ボランティア活動を始めて1カ月で、ジヘさんは感染リスクが高い風俗産業で働く女性たちを17回、訪問しました。 「(風俗で働く女性たちは)ターゲットグループの一つと言っていいと思います」とジヘさん。「女性たちの中には、タイ語も話せず、タイ政府が認める身分証を持っていない人もいます。若い女性ばかりです」 HIVと性感染症予防チームは、バンコクにあるPPATのセクシュアル/リプロダクティブ・ヘルス部門に属しています。このチームは、中高生やMSM (男性と性行為をする男性)のグループ、風俗業の経営者など、市内の様々な組織と協力関係を築き、アウトリーチ活動を通じて直接、働く人たちの話を聞きに行きます。 「セックスワーカーの人たちはクリニックで検査を受ける時間がないかもしれません。だから私たちが仕事場まで訪ねます」とジヘさんは言います。「通常、1時間ほどの教育的な話合いの場を持ち、復習を兼ねた活動をします。みんなで楽しみながら学ぶ時間です」 ジヘさんのいるチームは、イラストや画像で説明がある、大型の展示教材を持っていきます。そこには様々なSTIの症状や兆候が細かく図解され、HIV/AIDSとSTIの症状の克明な写真もあります。STIに感染するとどうなるのか、誰にでもわかりやすく説明されています。 「梅毒」「淋病」「性器ヘルペス」「腟カンジダ症」などの説明書きや写真を見た参加者からは、大きな反応があります。「みんなショックを受けますが、若い人は特にそうです。参加者はたくさん質問しますし、心配していることを話してくれます」とジヘさんは振り返ります。 PPATの冊子や小冊子の内容は、ショックを与えるようなものだけではありません。セクシュアリティと性的指向などの概念についても解説し、PPATが行うセミナーで話される性の多様性と平等についての理解を深める助けになります。 セミナーの後でHIVと梅毒の即日検査が希望者に実施されます。タイ国籍があれば、政府の補助によって年に2回まではHIV検査は無料です。有料でも、HIV検査は1回140バーツか4米ドル(500円弱)、梅毒検査は50バーツ(約170円)で受けられます。 「HIVの即日検査は30分ほどで結果が出て、99%正確です」とジヘさん。「即日検査と同時に看護師が採血します。このサンプルをラボに送ってより精度の高い検査をします。これは2~3日かかります」 検査の際、コンドームの正しい装着法をペニスの模型を使ったデモンストレーションで教えます。帰り道、受講者はPPATからのお土産の入った袋をもらいます。中にはコンドーム、PPATクリニックの電話番号が書かれた名刺、コンドームを入れるポーチが入っています。 ジヘさんは韓国の出身ですが、米国南部ルイジアナ州ニューオーリンズにあるテュレーン大学の大学院で公衆衛生学を学んでいます。進学後、PPATでボランティア活動を始めました。 「(活動を通して)世界中の人々は平等であることを実感しました。年齢、性別、性的指向、国籍、宗教や職業に関わらず、必要とする人は誰でも保健医療サービスを受けられるようにすることが重要です」  

チピリ・ムレムフウェさん。資金が途絶えるまで、IPPFザンビア(PPAZ)が実施するUSAIDオープンドア・プロジェクトのサービスデリバリー・マネージャーを務めていた
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| 08 August 2018

「貴重な時間が失われている」

2017年11月、 IPPFザンビア(PPAZ)は、米国国際開発庁(USAID)の援助を受けているプログラムをすべて中止にせよ、という知らせを受けました。グローバル・ギャグ・ルール(メキシコシティ政策)の影響によるものです。グローバル・ギャグ・ルールの再導入によって、PPAZは活動資金の46%を失いました。グローバル・ギャグ・ルールについてはこちらをご参照ください。   「私が(USAIDの援助を受けたPPAZ「オープンドア・プロジェクト」の)サービスデリバリー・マネージャーの仕事を失った時、自分の一部が死んだように感じました。それほどに情熱を傾けていたのです。いつかすべての人が、スティグマ(汚名)も差別も受けずに、特に公共の保健医療機関で、医療サービスを自由に受けられる日が来ると信じています。それが現実になること。もっとも脆弱でHIV感染のリスクが高い人々(キー・ポピュレーション)が、スティグマも差別も、逮捕される恐れもなく、総合的な 保健医療サービスを受けられる日が来るのを望んでいます」とチピリさんは話します。  グローバル・ギャグ・ルール グローバル・ギャグ・ルールの再導入によってPPAZのUSAIDオープンドア・プロジェクトへの援助が完全に途絶えました。 さらにチピリさんは続けます。「プロジェクトを始めた時には、突然、援助がなくなるとは思ってもいませんでした。援助の停止までに一定期間、例えば1年間の猶予があって、その間に事業を終わらせ、PPAZが背負ってきた責任を引き受けてくれるパートナーにプロジェクトを引き継げると思っていました」   プロジェクトが中止されるということは、それまでの成果、つまりキー・ポピュレーションにおけるHIVと性感染症(STIs)の感染者数を減少できていたこと、が取り消されてしまうという意味です。これは、ザンビアにおいてHIV感染者数を減らすために絶対に必要とされた成果でした。 「貴重な時間が失われている。国としての目標があります。2020年までにUSAIDが設定した90/90ゴール  を達成しなければなりません(訳注:90/90ゴールとは、2020年までにHIVと共に生きる人々の90%が自分の感染状態を知ること、HIV陽性と診断された人の90%が持続的に抗レトロウイルス薬による治療を受けていること、また抗レトロウイルス薬による治療を受ける人々の90%がウイルスの活動を抑制できていること、などを定めた国連合同エイズ計画(UNAIDS)の目標)。ザンビアではHIVの脅威に打ち克つため、さらに大きなビジョンを設定しています。2030年までにHIVを公共の脅威でなくするというものです。しかし、今回のような障害 が重なると、これらの目標が達成できません」  「キー・ポピュレーションは一般の人々ともつながっています。男性と性行為をする男性にはパートナーがいます。結婚していることもあります。彼らのネットワークを辿らなければ、HIVとSTIが一般の人々にも広まり、結果としてすべての人がリスクにさらされるでしょう」 その他の影響としては、キー・ポピュレーションの脆弱性が高まったこと、キー・ポピュレーションに育っていたピア・サポーターへの投資が無駄になったこと、キー・ポピュレーションがPPAZの提供していた安心、安全な受診場所に行けなくなったこと、などがあります。  安心と安全がなくなる時 「安心と安全という面では、キー・ポピュレーションの人はよく知らない医療機関を気軽に受診することができません。PPAZのクリニックは理想的な環境でした。誰も不要な質問をせず、誰もが自由にかかれるクリニックだったからです。現在、プロジェクトでは住宅を借りています。USAIDがサービスを提供する場所として住宅を借りてくれますが、住宅はクリニックとは違いますし、サービスの持続性という意味では影響があります」 「PPAZは1972年からサービス提供をしていますが、その持続性にも影響があります。プロジェクトによってPPAZがキー・ポピュレーションに汚名と差別を受けさせずにサービスを提供し続けられるようになればいいと思っていました。しかしこれは不可能になりました。私にとっては機会の損失です」 ザンビアのAIDS/HIV国家戦略枠組2017-2021では、HIV/AIDSの蔓延を止める目的のため「誰も取り残さない」という点に非常に重きを置いています。 「誰一人取り残してはならない。HIV新規感染者をゼロまで削減するのでなければ、我々の夢、ビジョンは実現しない。誰が悪いのか指を差し合う暇はない。公衆衛生のアプローチを使い、ザンビアの人々のHIV感染リスクをなくさなければなりません」

チピリ・ムレムフウェさん。資金が途絶えるまで、IPPFザンビア(PPAZ)が実施するUSAIDオープンドア・プロジェクトのサービスデリバリー・マネージャーを務めていた
story

| 30 April 2025

「貴重な時間が失われている」

2017年11月、 IPPFザンビア(PPAZ)は、米国国際開発庁(USAID)の援助を受けているプログラムをすべて中止にせよ、という知らせを受けました。グローバル・ギャグ・ルール(メキシコシティ政策)の影響によるものです。グローバル・ギャグ・ルールの再導入によって、PPAZは活動資金の46%を失いました。グローバル・ギャグ・ルールについてはこちらをご参照ください。   「私が(USAIDの援助を受けたPPAZ「オープンドア・プロジェクト」の)サービスデリバリー・マネージャーの仕事を失った時、自分の一部が死んだように感じました。それほどに情熱を傾けていたのです。いつかすべての人が、スティグマ(汚名)も差別も受けずに、特に公共の保健医療機関で、医療サービスを自由に受けられる日が来ると信じています。それが現実になること。もっとも脆弱でHIV感染のリスクが高い人々(キー・ポピュレーション)が、スティグマも差別も、逮捕される恐れもなく、総合的な 保健医療サービスを受けられる日が来るのを望んでいます」とチピリさんは話します。  グローバル・ギャグ・ルール グローバル・ギャグ・ルールの再導入によってPPAZのUSAIDオープンドア・プロジェクトへの援助が完全に途絶えました。 さらにチピリさんは続けます。「プロジェクトを始めた時には、突然、援助がなくなるとは思ってもいませんでした。援助の停止までに一定期間、例えば1年間の猶予があって、その間に事業を終わらせ、PPAZが背負ってきた責任を引き受けてくれるパートナーにプロジェクトを引き継げると思っていました」   プロジェクトが中止されるということは、それまでの成果、つまりキー・ポピュレーションにおけるHIVと性感染症(STIs)の感染者数を減少できていたこと、が取り消されてしまうという意味です。これは、ザンビアにおいてHIV感染者数を減らすために絶対に必要とされた成果でした。 「貴重な時間が失われている。国としての目標があります。2020年までにUSAIDが設定した90/90ゴール  を達成しなければなりません(訳注:90/90ゴールとは、2020年までにHIVと共に生きる人々の90%が自分の感染状態を知ること、HIV陽性と診断された人の90%が持続的に抗レトロウイルス薬による治療を受けていること、また抗レトロウイルス薬による治療を受ける人々の90%がウイルスの活動を抑制できていること、などを定めた国連合同エイズ計画(UNAIDS)の目標)。ザンビアではHIVの脅威に打ち克つため、さらに大きなビジョンを設定しています。2030年までにHIVを公共の脅威でなくするというものです。しかし、今回のような障害 が重なると、これらの目標が達成できません」  「キー・ポピュレーションは一般の人々ともつながっています。男性と性行為をする男性にはパートナーがいます。結婚していることもあります。彼らのネットワークを辿らなければ、HIVとSTIが一般の人々にも広まり、結果としてすべての人がリスクにさらされるでしょう」 その他の影響としては、キー・ポピュレーションの脆弱性が高まったこと、キー・ポピュレーションに育っていたピア・サポーターへの投資が無駄になったこと、キー・ポピュレーションがPPAZの提供していた安心、安全な受診場所に行けなくなったこと、などがあります。  安心と安全がなくなる時 「安心と安全という面では、キー・ポピュレーションの人はよく知らない医療機関を気軽に受診することができません。PPAZのクリニックは理想的な環境でした。誰も不要な質問をせず、誰もが自由にかかれるクリニックだったからです。現在、プロジェクトでは住宅を借りています。USAIDがサービスを提供する場所として住宅を借りてくれますが、住宅はクリニックとは違いますし、サービスの持続性という意味では影響があります」 「PPAZは1972年からサービス提供をしていますが、その持続性にも影響があります。プロジェクトによってPPAZがキー・ポピュレーションに汚名と差別を受けさせずにサービスを提供し続けられるようになればいいと思っていました。しかしこれは不可能になりました。私にとっては機会の損失です」 ザンビアのAIDS/HIV国家戦略枠組2017-2021では、HIV/AIDSの蔓延を止める目的のため「誰も取り残さない」という点に非常に重きを置いています。 「誰一人取り残してはならない。HIV新規感染者をゼロまで削減するのでなければ、我々の夢、ビジョンは実現しない。誰が悪いのか指を差し合う暇はない。公衆衛生のアプローチを使い、ザンビアの人々のHIV感染リスクをなくさなければなりません」

ミラン・カダカさん
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| 29 November 2017

音楽を使ってHIVに対する汚名と闘うネパールの大学生

ミラン・カダカさんが10歳の時、両親をHIVによって亡くしました。「両親が亡くなった時、深い孤独を感じました。僕のことを思ってくれる人はもう世界中に誰もいないのではないかと思いました」とミランさんは言います。「誰かの愛を受けている子どもたちを見ると、両親が生きていれば、自分もあのように愛されただろうに、と思いました」 ミランさんのように、インドへ出稼ぎに行った親を祖国ネパールで待つ子どもは、何千人もいると言われます。ミランさんは10歳までインドで育ちましたが、母親をエイズ関連の疾患で亡くしました。母親の死後、家族でネパールに帰国しましたが、8カ月後に今度は父親が亡くなり、一人、祖母の下に残されたのです。 「両親の死後、自発的にHIV検査を受けに行き 、体内にウイルスがあるかどうかを確かめました」とミランさん。「HIV陽性という診断を受けてから、少しずつそのことが地域の人たちに知られるようになり、やがてひどい差別を受けました。学校では友人が一緒に座ってくれず、中傷やいじめもありました」さらに、「家では寝室を分けられ、寝具も、食器も、髪をとかす櫛も別のものを用意されました。一人きりで眠らなければなりませんでした」 ミランさんが、地域に住むラクシュミ・クンワルさんに出会ってから、事態が好転し始めました。ラクシュミさんは、自身もHIV陽性の診断を受け、地元パルパでHIVと共に生きる人々を支える活動に専心することを決意した女性です。IPPFネパール(FPAN)の在宅コミュニティ・ケア・モビライザーをしています。 孤児になった 幼い少年がつらい思いをしていることを知り、ラクシュミさんはミランさんの家族や先生たちと話し合いました。これを受けて、大人たちはクラスメートにも話をしました。「ラクシュミさんが話しに行ってから、先生たちは助けてくれるようになりました」とミランさん。「HIVについての(正しい)知識がわかると、学校の友達も仲良くしてくれ、ものを一緒に使ってくれるようになりました。学友たちはこう言ってくれました。『ミランにはもう誰もいないから、僕たちが一緒にいなくちゃ。ミランに起きたことが僕たちに起きない保証はないだろう?』と」 ラクシュミさんはミランさんが小中学校から大学に進学するまで見守り、勉学に励むよう、応援してきました。「ラクシュミさんはもはや母親以上の存在です」と言います。「実の母は僕を産んでくれましたけど、大きくなるまで面倒を見てくれたのはラクシュミさんです。実の母が生きていたとしても、ラクシュミさんのようにできたとは思えません」 ミランさんは学業では常にオールAの評価を受け、クラス上位にいました。そして優秀な生徒として、無事に学校を卒業できたのです。 現在、21歳のミランさんは忙しく、充実した毎日を送っています。大学の学生生活、FPANの在宅コミュニティ・ケア・モビライザーの活動、そして始めたばかりの音楽活動があるからです。教育学の学部生としてタンセン大学に通っているとき以外は、ケア・モビライザーとして地域の村を訪ね、住民にHIVの予防と治療について説明したり、避妊具を配布したりしています。HIVと共に生きる子どもたちを支える活動もしています。同じ境遇の子どもたちに、自分が両親を亡くし、差別を受けた経験から、幸せで成功した今の人生にたどり着くまでの道のりを聞かせています。 「この地域でHIVと共に生きる子どもたちは40名います」とミランさん。「僕は彼らに会って話をし、彼らの状況を知り、必要な支援があればつなぎます。彼らにはこう話しています。『あの時、もし僕があきらめていたら、今の僕にはなっていない。だから君たちもあきらめるな。君の人生を歩んでいくのだよ』と」 ミランさんのストーリーを動画にまとめました。ぜひご覧ください(英語)。      

ミラン・カダカさん
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| 30 April 2025

音楽を使ってHIVに対する汚名と闘うネパールの大学生

ミラン・カダカさんが10歳の時、両親をHIVによって亡くしました。「両親が亡くなった時、深い孤独を感じました。僕のことを思ってくれる人はもう世界中に誰もいないのではないかと思いました」とミランさんは言います。「誰かの愛を受けている子どもたちを見ると、両親が生きていれば、自分もあのように愛されただろうに、と思いました」 ミランさんのように、インドへ出稼ぎに行った親を祖国ネパールで待つ子どもは、何千人もいると言われます。ミランさんは10歳までインドで育ちましたが、母親をエイズ関連の疾患で亡くしました。母親の死後、家族でネパールに帰国しましたが、8カ月後に今度は父親が亡くなり、一人、祖母の下に残されたのです。 「両親の死後、自発的にHIV検査を受けに行き 、体内にウイルスがあるかどうかを確かめました」とミランさん。「HIV陽性という診断を受けてから、少しずつそのことが地域の人たちに知られるようになり、やがてひどい差別を受けました。学校では友人が一緒に座ってくれず、中傷やいじめもありました」さらに、「家では寝室を分けられ、寝具も、食器も、髪をとかす櫛も別のものを用意されました。一人きりで眠らなければなりませんでした」 ミランさんが、地域に住むラクシュミ・クンワルさんに出会ってから、事態が好転し始めました。ラクシュミさんは、自身もHIV陽性の診断を受け、地元パルパでHIVと共に生きる人々を支える活動に専心することを決意した女性です。IPPFネパール(FPAN)の在宅コミュニティ・ケア・モビライザーをしています。 孤児になった 幼い少年がつらい思いをしていることを知り、ラクシュミさんはミランさんの家族や先生たちと話し合いました。これを受けて、大人たちはクラスメートにも話をしました。「ラクシュミさんが話しに行ってから、先生たちは助けてくれるようになりました」とミランさん。「HIVについての(正しい)知識がわかると、学校の友達も仲良くしてくれ、ものを一緒に使ってくれるようになりました。学友たちはこう言ってくれました。『ミランにはもう誰もいないから、僕たちが一緒にいなくちゃ。ミランに起きたことが僕たちに起きない保証はないだろう?』と」 ラクシュミさんはミランさんが小中学校から大学に進学するまで見守り、勉学に励むよう、応援してきました。「ラクシュミさんはもはや母親以上の存在です」と言います。「実の母は僕を産んでくれましたけど、大きくなるまで面倒を見てくれたのはラクシュミさんです。実の母が生きていたとしても、ラクシュミさんのようにできたとは思えません」 ミランさんは学業では常にオールAの評価を受け、クラス上位にいました。そして優秀な生徒として、無事に学校を卒業できたのです。 現在、21歳のミランさんは忙しく、充実した毎日を送っています。大学の学生生活、FPANの在宅コミュニティ・ケア・モビライザーの活動、そして始めたばかりの音楽活動があるからです。教育学の学部生としてタンセン大学に通っているとき以外は、ケア・モビライザーとして地域の村を訪ね、住民にHIVの予防と治療について説明したり、避妊具を配布したりしています。HIVと共に生きる子どもたちを支える活動もしています。同じ境遇の子どもたちに、自分が両親を亡くし、差別を受けた経験から、幸せで成功した今の人生にたどり着くまでの道のりを聞かせています。 「この地域でHIVと共に生きる子どもたちは40名います」とミランさん。「僕は彼らに会って話をし、彼らの状況を知り、必要な支援があればつなぎます。彼らにはこう話しています。『あの時、もし僕があきらめていたら、今の僕にはなっていない。だから君たちもあきらめるな。君の人生を歩んでいくのだよ』と」 ミランさんのストーリーを動画にまとめました。ぜひご覧ください(英語)。      

IPPFタイでボランティア活動をするジヘ・ホンさん
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| 24 October 2017

「クリニックまで来られないセックスワーカーを訪ねます」タイのHIVと性感染症予防活動

一般的に、セックスワーカーはHIV(エイズウイルス)と性感染症(STI)感染リスクが高い環境で仕事をします。セックスワークが違法なタイでも、ほかの多くの国と同様、セックスワークが黙認されています。 ジヘ・ホンさんはIPPFタイ(PPAT)のボランティアです。ジヘさんは「HIVと性感染症予防チーム」の一員として、首都バンコクとその周辺で活動しています。ボランティア活動を始めて1カ月で、ジヘさんは感染リスクが高い風俗産業で働く女性たちを17回、訪問しました。 「(風俗で働く女性たちは)ターゲットグループの一つと言っていいと思います」とジヘさん。「女性たちの中には、タイ語も話せず、タイ政府が認める身分証を持っていない人もいます。若い女性ばかりです」 HIVと性感染症予防チームは、バンコクにあるPPATのセクシュアル/リプロダクティブ・ヘルス部門に属しています。このチームは、中高生やMSM (男性と性行為をする男性)のグループ、風俗業の経営者など、市内の様々な組織と協力関係を築き、アウトリーチ活動を通じて直接、働く人たちの話を聞きに行きます。 「セックスワーカーの人たちはクリニックで検査を受ける時間がないかもしれません。だから私たちが仕事場まで訪ねます」とジヘさんは言います。「通常、1時間ほどの教育的な話合いの場を持ち、復習を兼ねた活動をします。みんなで楽しみながら学ぶ時間です」 ジヘさんのいるチームは、イラストや画像で説明がある、大型の展示教材を持っていきます。そこには様々なSTIの症状や兆候が細かく図解され、HIV/AIDSとSTIの症状の克明な写真もあります。STIに感染するとどうなるのか、誰にでもわかりやすく説明されています。 「梅毒」「淋病」「性器ヘルペス」「腟カンジダ症」などの説明書きや写真を見た参加者からは、大きな反応があります。「みんなショックを受けますが、若い人は特にそうです。参加者はたくさん質問しますし、心配していることを話してくれます」とジヘさんは振り返ります。 PPATの冊子や小冊子の内容は、ショックを与えるようなものだけではありません。セクシュアリティと性的指向などの概念についても解説し、PPATが行うセミナーで話される性の多様性と平等についての理解を深める助けになります。 セミナーの後でHIVと梅毒の即日検査が希望者に実施されます。タイ国籍があれば、政府の補助によって年に2回まではHIV検査は無料です。有料でも、HIV検査は1回140バーツか4米ドル(500円弱)、梅毒検査は50バーツ(約170円)で受けられます。 「HIVの即日検査は30分ほどで結果が出て、99%正確です」とジヘさん。「即日検査と同時に看護師が採血します。このサンプルをラボに送ってより精度の高い検査をします。これは2~3日かかります」 検査の際、コンドームの正しい装着法をペニスの模型を使ったデモンストレーションで教えます。帰り道、受講者はPPATからのお土産の入った袋をもらいます。中にはコンドーム、PPATクリニックの電話番号が書かれた名刺、コンドームを入れるポーチが入っています。 ジヘさんは韓国の出身ですが、米国南部ルイジアナ州ニューオーリンズにあるテュレーン大学の大学院で公衆衛生学を学んでいます。進学後、PPATでボランティア活動を始めました。 「(活動を通して)世界中の人々は平等であることを実感しました。年齢、性別、性的指向、国籍、宗教や職業に関わらず、必要とする人は誰でも保健医療サービスを受けられるようにすることが重要です」  

IPPFタイでボランティア活動をするジヘ・ホンさん
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| 30 April 2025

「クリニックまで来られないセックスワーカーを訪ねます」タイのHIVと性感染症予防活動

一般的に、セックスワーカーはHIV(エイズウイルス)と性感染症(STI)感染リスクが高い環境で仕事をします。セックスワークが違法なタイでも、ほかの多くの国と同様、セックスワークが黙認されています。 ジヘ・ホンさんはIPPFタイ(PPAT)のボランティアです。ジヘさんは「HIVと性感染症予防チーム」の一員として、首都バンコクとその周辺で活動しています。ボランティア活動を始めて1カ月で、ジヘさんは感染リスクが高い風俗産業で働く女性たちを17回、訪問しました。 「(風俗で働く女性たちは)ターゲットグループの一つと言っていいと思います」とジヘさん。「女性たちの中には、タイ語も話せず、タイ政府が認める身分証を持っていない人もいます。若い女性ばかりです」 HIVと性感染症予防チームは、バンコクにあるPPATのセクシュアル/リプロダクティブ・ヘルス部門に属しています。このチームは、中高生やMSM (男性と性行為をする男性)のグループ、風俗業の経営者など、市内の様々な組織と協力関係を築き、アウトリーチ活動を通じて直接、働く人たちの話を聞きに行きます。 「セックスワーカーの人たちはクリニックで検査を受ける時間がないかもしれません。だから私たちが仕事場まで訪ねます」とジヘさんは言います。「通常、1時間ほどの教育的な話合いの場を持ち、復習を兼ねた活動をします。みんなで楽しみながら学ぶ時間です」 ジヘさんのいるチームは、イラストや画像で説明がある、大型の展示教材を持っていきます。そこには様々なSTIの症状や兆候が細かく図解され、HIV/AIDSとSTIの症状の克明な写真もあります。STIに感染するとどうなるのか、誰にでもわかりやすく説明されています。 「梅毒」「淋病」「性器ヘルペス」「腟カンジダ症」などの説明書きや写真を見た参加者からは、大きな反応があります。「みんなショックを受けますが、若い人は特にそうです。参加者はたくさん質問しますし、心配していることを話してくれます」とジヘさんは振り返ります。 PPATの冊子や小冊子の内容は、ショックを与えるようなものだけではありません。セクシュアリティと性的指向などの概念についても解説し、PPATが行うセミナーで話される性の多様性と平等についての理解を深める助けになります。 セミナーの後でHIVと梅毒の即日検査が希望者に実施されます。タイ国籍があれば、政府の補助によって年に2回まではHIV検査は無料です。有料でも、HIV検査は1回140バーツか4米ドル(500円弱)、梅毒検査は50バーツ(約170円)で受けられます。 「HIVの即日検査は30分ほどで結果が出て、99%正確です」とジヘさん。「即日検査と同時に看護師が採血します。このサンプルをラボに送ってより精度の高い検査をします。これは2~3日かかります」 検査の際、コンドームの正しい装着法をペニスの模型を使ったデモンストレーションで教えます。帰り道、受講者はPPATからのお土産の入った袋をもらいます。中にはコンドーム、PPATクリニックの電話番号が書かれた名刺、コンドームを入れるポーチが入っています。 ジヘさんは韓国の出身ですが、米国南部ルイジアナ州ニューオーリンズにあるテュレーン大学の大学院で公衆衛生学を学んでいます。進学後、PPATでボランティア活動を始めました。 「(活動を通して)世界中の人々は平等であることを実感しました。年齢、性別、性的指向、国籍、宗教や職業に関わらず、必要とする人は誰でも保健医療サービスを受けられるようにすることが重要です」